編集者活動日記

2019年
初夏

物語の魅力について。大人から子どもに「伝える」ことについて。
 岡田真希子さん(2018年7月『凍』を紹介)
 佐々木彩子さん(2019年2月『コインロッカー・ベイビーズ』を紹介
 鈴木朝子(当サイト主宰/文中では質問者)
 場所:かもめブックス(新宿区神楽坂)

──この読書案内サイトで皆さんが紹介してくださる本は、小説・ノンフィクション・エッセイといろいろあるわけなんだけれど、目的のひとつに、「10代の人たちに『物語の力』を体感してほしい」というのがあるんです。それは伝わっているのかな、伝えるにはどうしたらいいのかな、ということを考えています。今、実際に若い人たちの反応を見ていらっしゃる方……例えば、仕事でお付き合いのある高校の先生とお話ししたり読書案内をお願いしたりすると「若い人たちは、すぐ役立つものを読みたがると思うけれど」ということを、みなさん気にされるんですよね。
 最近は、ある先生から「主役に感情移入しながら物語を読んでいくことで、実際に自分の身に起きる出来事に対しても『主人公』として臨むことができるようになるのではないか」という話を聞いたんだけれど、最近は子どもにそういう力を感じる場面が減っているように思う、とも。

彩子さん(以下、彩):なるほど。たとえば小学生の子どもが、学校のクラスで「自分って、こんな存在だな」と、限定的な自己認識を持ってしまうことがあったとしても。それとは関係のないところで、自分を主人公だと思える経験って必要ですよね。確かに、物語はそれをもたらしてくれる。

真希子さん(以下、真):物語にワクワクする子が減っているのだとすると、ワクワクする感覚って、どこでなくしちゃうんだろう? 最初から、物語を吸収する機会がなかったっていうこと?

──読み聞かせてもらう経験がなかったか、自分で読む年齢に入った頃に読まなくなっちゃうか。そういう子に対して、「本って面白いよ」というアプローチとは別に、「物語の面白さ」を伝えられないかな、と考えています。

彩:ミもフタもなくなっちゃうけど、「出会う時は出会うもの」なんじゃないかと私は思っていて。タイミングは人それぞれでいいし、メディアだって、本に限らずマンガでもいいしアニメでもいいし。今、選択肢そのものは増えているから、いろんな機会がある。
 本って、「いいものだから読む」ばかりじゃないはずですよね。とにかく腹が減っていてこれを食わずにはいられないというような、そういう出会いのタイミングは人の数だけあって、どこかで来るものだと思う。読ませようと思って読ませることはなかなかできないし、一方的に与えることも難しいけど、でも希望は持っていていいんじゃないかな。

真:私自身はすでに物語を面白いと思う人生を生きてきてしまって、もはや物語は空気と同じようなものだから、そこから話すことにはなるんだけど。
 若い人たちと物語の接点になる場所が、居心地が良くて、即物的な悩みを解決してくれそうに思える場所になったらいいなとは思う。その場所が自分にとって何かの入口になりそうだと感じることができれば、そこにある本のどれかが「扉」になるかもしれない。
 自分の学生時代を思い出しても……本を読んでいくとき、読んでいた本に別の本が出てきて、それを読んだらまた次の本にと、どんどんつながっていくことがあるでしょう。「呼ばれた!」っていう、あの感じ。そういう道すじができたらなぁ。

──そうやって辿るのは、「自分だけの道」だもんね。

真:今の10代が、私たちとまったく違う「人生に物語を受け容れられない生き物」になってしまっているわけはないんだよね。同時代を生きる同じ人間だから。

──お二人は、小さい時から本が好きだった?

真:私は一人っ子だから、雨の日に遊んでくれるのは本だったし、両親が2週間に1回、図書館に連れて行ってくれて、10冊まで借りられるのね。絵本だとすぐに読み終わっちゃうから、なんとか2週間持たせられるように少し背伸びかな、というものを選んでいくわけです。
 当時はブックガイドもないから、手当り次第だよね。並べてあるものをとにかく手に取って、これは自分にとって欲しいものかな? もしかして今じゃないかも? とか考えて、棚に戻したり。

彩:そうそう。そうやって自分で歩く感覚。自分で見つけて「つながった!」っていうね。そこが一番ドキドキして、嬉しいところ。
 私は母も祖父も本に関係する仕事だったから、自然と本に囲まれる形で育ったんだけど、親に「これいいよ」と言われたって、すぐ素直に読む気にはなれんなァ、という感覚は常にありました。
 とはいえ自分も、つい子どもに薦めちゃったりするんですけど。うちの高1の娘なんか「ふーん。ま、読まないけどね」とかハッキリ言います(笑)。アプローチは難しいですよね。すごく反発されることもあるし。

──「自分で見つけた」という手応えの方が、本そのものより嬉しいですもんね。

彩:支えられますからね。その手応えに。

真:私は5才の息子と一緒に図書館に行っても、「私が読みたいから」と選んだ本を中心にして、彼が読みたがったものをそれに混ぜる形で借りるなぁ。
 私は私の読書の時間を大切にしたいから、読みたい気持ちが溜まってくると、「今日は一緒に遊べないからDVDでも見てて」って言って、ガーって本読むんです。そうすると、息子の方から「それ、おもしろいの?」って聞いてきたりする。まだ自分には読めないけど面白いらしい、と思うみたい。
 彼にとって、本はあくまでも娯楽なんだよね。YouTubeなんかと同じコンテンツの一つという認識だから、あの人はこれからも、本を勉強とは思わないだろうと思う。
 子どもは親の「言う」ように育つのではなくて、親の「する」ようにするものだ、というのは本当だなと感じていて。読み聞かせの時間を取るくらいなら、親が夢中になって読めばいいんじゃないかと思ったりもします。

彩:確かに。子供って、「これいいよ」と言われたら「ケッ」って反発することも多いけど、大人が真剣に楽しそうにやってることには「なんだなんだ?」って興味を持つこともある。言い聞かせてもしょうがないんですよね。
 でもそれなら……今の大人って、どういうふうに物語をエンジョイしてるのかな。している人たちがいるとすれば、それはどういう場面なんだろう? そこがヒントにならないかな。子供がうらやましがるサンプルにならないかしら。それこそ、こういうブックカフェでのイベントとか。まだ自分で行けない子にとっては、うらやましかったり……しないかな?(笑)
 それと、さっきから「昔も今も、大人の言うことは変わらないのかも知れないなぁ」ということも思っていて。ずいぶん前のことだけど、私、祖父に「これが大学生の書棚か」と呆れられたことがあったんですよ。ロクな本がないじゃないかと。いちばん目立つ場所が、どーんとピンクのコバルト文庫だったしね。
 子供のすることがすごく心配で、こんなことで大丈夫? とハラハラするのは自然なことで、これまでの年長者たちもずっと繰り返してきたことなのかも。でも、「いったいどうしたらいいんだろう? 子供たちのために」と、こうしてやきもきしながら考えることには、やっぱり意味があるようにも思うんです。それは「我々にとっての意味」かもしれないから、逃げないで考えなきゃダメですよね。

真:物語の何がいいところかというと、その中で、人が成長するんだよね。それを自分のことのように読むことで、勇気づけられる。自分とは違う、自分とあまり似ていない人が、それでも同じ人間だから同じような悩みを持っていて。それを客観的に見ることで……たとえば親に言われるとか、そういう「うるさいなぁ」と思っちゃうような形ではなく、「そういうものなんだな」と、事実として知ることができる。
 本じゃなくてもいいのかな。たとえば、演劇でも体感できるし。あ、だけど、座っているだけで一方的に、想像力を働かさなくても自分の中に入ってきてしまうものよりは、心を働かせることができるほうがいいとは思う。

──本をいいなと思うのは、読んだ人の数だけの風景があるところで、思い浮かべた情景が隣の誰かと同じではつまらなくない? と思うんですよね。本から得られる情景は、それが自分だけの情景だから、そこに行ってみることができるんだと思ってる。
 話はちょっと変わって、「高校生と、かつて高校生だった人のための読書案内」は皆さんに「この1冊」を紹介していただいているんだけど、ここで目指しているのは、例えば、まちと(真希子さんの愛称)の紹介文によって、自分も『凍』(沢木耕太郎著。登山家の山ノ井泰史・妙子夫妻の登山行を描いたノンフィクション)を読んでみたくなる、というだけではなくて、この人にとっての『凍』に当たるような本を自分も見つけたいと思って欲しい、ということなんです。これって、すごく難しいこと?

真:だってその話は、まずたくさんの本を読むことが前提でしょう?

彩:うーん。難しいと思う。たとえば、あるクラスの全員にそれが起こるということは、たぶんいつの時代でもどんな学校でも、ないんじゃないかな……。
 でも、目指すことは必要ですよね。まずゴールとして設定しないと、書く大人も目指せない。とにかくそこが目標だと定めてしまって、なかなか届かなくはあるけれども、その星を見ているべきなのかも。

真:「たくさん読むなかで巡り合えるものなんだよ」ということも伝えたい。読書の習慣がなかったら、いいものに出会って心がぱっと開けるなんてラッキーなことは起きないから。でも読み続けていれば、1年に1回くらい「これは当たり」という本が出てくるでしょう。それを、何かの形で伝えられたら。

──「読書に夢中になっている大人の姿を見せる」っていうのは、続けなきゃね。

真:父の世話をしている時、息子に携帯を渡したら『おしっこちょっぴりもれたろう』(ヨシタケシンスケ著)の読み聞かせ動画を見ていたことがあって。どこかの先生かお母さんが子供に読み聞かせてるんだけど、私の読み方と、解釈が違うの。トーンとか。あ、そこはそういう発音なのね、って。
 本って、声に出して読んだ瞬間に「お、あなたはこんな読み方してるのね」というのがわかる。たとえばみんなでそれぞれ朗読してみたら、それぞれが違う読み方をしているはずで、それを若い人にも見せられたらなぁ……。あなたはあなたの読み方を当たり前と思っているけれど、実は人によって全然違うんだよって。国語の時間だって、本来はそういう発見がたくさんあるはずのものなんだよね。

彩:今、どうして10代の人たちが物語を読めないんだろうと考えてみると、圧倒的に忙しいんですよね。暇がない。物語って、忙しくて「わーっ」となった時に頭を逃せる場所でもあるから、今こそ、そういう逃げ道が有効なはずなんだけど。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』(村上春樹著)に出てくる「夢読み」みたいにね。
 本当に「今こそ」なのに、その余裕がない。隙間さえあれば、食べたいもの食べにくるんじゃないかと思うんだけどな。

真:ところで、お二人のおすすめの物語、教えてもらえませんか? 読むから。「読書案内」サイトにあるのは自分の人生にいかに深く関わったかで選ばれた本だけど、それとは別に、単純に「面白いから読んでよ」っていう本があれば知りたい。

──『ウォーターシップダウンのうさぎたち』(リチャード・アダムス)っていう本があって、今いる場所が、なんだっけ……環境破壊? か何かに脅かされることを知ったうさぎたちの群れが、住みやすい地を求めて移動する話なのね。前向きなリーダーがいて、怖いもの知らずのエースがいて、臆病なのもいて、いろいろいる。それを小学生の私は、学校のクラスやクラブの人間関係の縮図だなぁと受け取って、上下巻でめちゃくちゃ長いんだけど、夢中になりました。
 実は読書案内サイトのスタートの時に、この本のことを書こうと思ったんだけど、社内で「本が長すぎる!」と、反対されまして。

彩:じゃあ、今は掲載待ち?

──うん、掲載待ち……というか、ボツですね(笑)。

真:どこで見つけたの?

──小学校の図書館で。装丁がおしゃれで、気になって……装丁がいい本って、たいてい、いい本じゃないですか。あと、昔の図書館の本って、本の後ろに前に読んだ人の日付のスタンプが押してあったでしょう? そこ見たら読んだ人があんまりいなくて。それもちょっと誇らしかったりしてね。

彩:私のおすすめは、安房直子さんの『ハンカチの上の花畑』というファンタジー。小学校の国語の教科書の、読書案内ページに載ってました。私が初めて自分で買った文庫本なんですけど、300円しないくらいの安さで。こんなに安いお金でこんなものが買えるのかって、本当にびっくりしたんですよ。それまで読んでいた子供向けの単行本に比べて、こんなに軽くて安くて、こんなに中身が詰まってて、いいの?! って。
 実はつい最近、読み直す機会があったんだけど、むしろ今の私にぴったりのビターなお話で、これまたびっくりしました。

真:小学生向けだと、岩波少年文庫もありますよね。あそこにもある『トムは真夜中の庭で』(アン・フィリッパ・ピアス)、あれもいい本ですよね。(その日の「かもめブックス」店頭ではちょうど子供の本が特集されていて、席から見える棚にも並んでいた)大人になってから読むのも、またいいなって思います。年をとったその人の中にも、子供時代のその人がちゃんと残っているよねっていうのが、いい余韻になる。

彩:マトリョーシカだ。

──村上春樹作品ならこれ、というのはありますか? (どうして自分がここで村上春樹作品の話を出したのかICを聴いても分からない。「トニー滝谷」の話がしたかった?)

真:たいてい読んできたけれど、『納屋を焼く』(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に収録)は、毎日毎日、何回かずつ読んでいた時期がある。

彩:私は「踊る小人」が一番好き。確か、同じ短編集。

真:あの話、怖い!

彩:そう。怖いの。それに踊りの話だから、特別で。私、踊りが好きなので。象工場も出てくるしね。

──短編……「トニー滝谷」が好きですね。『レキシントンの幽霊』に入っているはず。

彩・真:タイトルはわかるけど、どんな話だったか憶えてない……!

──そういえば、お二人とも時間は大丈夫?

真:そろそろ。帰る前にせっかくだから、ここの本を見てきていいですか?

彩:私も行きたい!

──みんなで行っちゃいましょう。


 これは今年の夏が本格的に始まる前の短い季節の1日のことで、神楽坂のかもめブックスさんのカフェのテラス席が、気候的にも最高だった。真希子さんと私はアイスコーヒー、彩子さんは瓶ビールを注文して、そのビールの瓶の王冠の柄がかわいかった。気持ちの良い日に大好きな本屋さんで大好きな本の話をした今日のことを、この王冠を見るたびに思い出すことにする、とまで言っていた彩子さんは、別れてから「あの王冠、持ってくるの忘れちゃった」と言っていた(笑)。
 読書案内でおふたりが本を紹介してくれたページは下記の通り。