選定者私物の本

案内文01

「ドアの向こうは嵐」ライター・佐々木彩子

選定者

『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍
『第2図書係補佐』又吉直樹

高校時代の私にとって最も衝撃的だった読書体験といえば、これを置いて他にない。

村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』。主に通学電車の中で読んだ。私鉄の沿線駅から新宿方向へ、途中で地下鉄に乗り換えて正味約50分の往復。何日かかったかは覚えていない。文章の密度も描かれた世界の荒々しさも、それまでの私が全く知らなかったものだった。もちろん新宿に買い物に行くことはあったけれど、キクが新幹線で東京に出てきてさまよう歌舞伎町は、それとは別世界だった。

紙に印刷されたインクのしみを追うだけで、見たことのない時空が開ける。今暮らしている世の中の、別の階層が見えてくる。そのことに驚きすぎて、開いた口がふさがらないまま読み終えた。言葉で全く新しい世界が作れるのだと、私はこの本で知った。実は密かに〈小説における、私の初めてのひと〉と呼んでいる。「やらしい言い方するなぁ!」と友達に呆れられてからはあまり人に言わないようにしているが、まさにその通りなので仕方がない。


しかし、この本の世界に入るまでは大変で、かなりの時間がかかったことも覚えている。

ドアの向こうは嵐。開けようとするが押しても動かない。ぐっと押して少し開けてみる。ダメだ。風が強すぎて踏み出せない。数行で諦めて本を閉じる。講談社文庫の黄色い背表紙を眺めながら幾度となくそんなことを繰り返して、しかしある日、なぜかすっと扉が開いた。あとは止まらなかった。


およそ30年を経た最近になって、この小説と再会した。近所の図書館のリサイクルコーナーにあった『第2図書係補佐』の中だった。又吉直樹さんもまた、『コインロッカー・ベイビーズ』を読み始めるまでに8年かかったと書いている。理由は「上巻がなかなか見つからなかった」「単純にお金がなかった」と表面的には全く違うが、「『まだ読むな』という読書の神のお導き」という一節には深く頷いた。うん、本ってそういうものだよね。自分が望む世界への扉がどの本に潜んでいるのか、それはいつ開くのか、誰にもわからないところがある。


『コインロッカー・ベイビーズ』が、果たしてあなたにも響くのかどうかはわからない。

高校生の皆さんには、むしろ『第2図書係補佐』の方が役に立つかもしれない。紹介される小説とは無関係の個人的なエピソードがつづられているように見えるときにも、元の小説世界の空気がふと濃厚に漂って、惹かれる。こちらには47の扉が用意されている。

あらすじ/『コインロッカー・ベイビーズ』村上 龍

赤ちゃんがコインロッカーに置き去りにされた実際の事件を題材にした小説。乳児期にコインロッカーで発見された主人公の少年ふたりは、横浜の養護施設で育てられたのち、九州の炭鉱跡の島に住む夫妻に引き取られる。傷を負い、孤独を抱え、社会を憎むふたりのエネルギーは、それぞれ音楽の才能の開花、世界を破壊する願望の芽生え……へと具現化されていく。


『第2図書係補佐』又吉直樹

小説家としてデビューする前から大の読書家として知られていた又吉直樹が、吉本興業発刊のフリーペーパーに連載していた読書エッセイを収録した一冊。「自分の生活の傍らに常に本という存在があることを書こうと思いました」(まえがき)とある通り、愛読書を紹介するかたちで自身がこれまで経験してきたこと、出会った人々のことを端正な文章で綴ったエッセイ集。

案内者プロフィール

佐々木彩子。1973年、東京生まれ。20代にコピーライターと専門紙編集を経験。その後は小中学校の教科書編集の手伝いなどを細々と。文芸同人誌『有象無象』に雑文を寄稿。子供は15歳・11歳の姉妹。好きな食べ物はすいか。

コインロッカー・ベイビーズ,第2図書係補佐

書籍情報

『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年講談社から発刊)
1984年に文庫化、現在も講談社文庫から発売中

『第2図書係補佐』(2011年幻冬舎から発刊)
現在も幻冬舎よしもと文庫から発売中。