案内文02
「憧れ続けた人たち」 編集者・鈴木朝子
『ぼくは勉強ができない』
飲み会の席で年下の男友達が、親友だという人の話をしていた。
心を病んで外出することもままならない親友の家を彼はほぼ毎日訪ねて、食べるものを差し入れたり、時にはお金を渡したりしているのだと彼は言った。彼は医師ではないし、心の専門家でもない。だからそうすることがかならずしも相手のためになるかどうかは分からなかったし、彼自身もそんなことは承知のようだった。
どうしてそこまでするの、という意味のことを誰かが尋ねると、彼はちょっと虚を突かれたように「友達だから」と短く答えた。そのあと、あまりに素っ気ないと気になったのか、あるいはもっともな質問なのかもしれないと考え直したのか「いや……でも、まぁ、友達だからなぁ…」と結局同じことを言った。
『ぼくは勉強ができない』の時田秀美くんみたいだと思った。ものごとを図る物差しを、自分の内側に持っている。そういう人に出会うと「秀美くんみたい」と思う癖がついている。そのくらい印象深かった本だった。物差しが自分のなかにあるということがどんなに格好良いことか、この本を初めて読んだ10代の自分は理解して、そうなることがとても困難であることを分かっていた。
およそ秀美くんのようになれなかった10代のあとに、少しずつ歳を重ねて、秀美くんの担任の先生のようにはなれなかったし、秀美くんのお母さんのようにもなれていない。この先、秀美くんのおじいさんのようになることも難しいだろうと思う。
この本の案内者である小窪瑞穂さんと私は年が同じで、だいたい同じような年齢で読んだのだと思う。「ぼくは勉強ができない」は、ベストセラーになっただけではなくて、課題図書になったりセンター試験の国語の問題に使われたり、高校の教科書に掲載される案が挙がったりしたことで話題を呼んだ。そういうこともあって、おそらく多くの人がこの本を読んだ。「ぼくは勉強ができない」を読んだ自分がここにいて、どこかにもいる。登場人物の誰かのようになることができなくても、彼らが格好良い人間であることを分かっている。胸のうちに秀美くんたちに憧れて生きてきた道のりは、そうでなかった道のりよりも、少しだけ良いものであるように思っている。
あらすじ/『ぼくは勉強ができない』山田詠美 1993年
父の顔を知らず、祖父と母と3人で暮らす主人公の少年は高校生。彼にはバーで働く年上の恋人がいる。成績は良くないけれど人気者で、いわゆる「既成観念」や「一般論」で語ることをせず、確固たる自分の考えを持とうとし、それを道標にしてすべての物事に向き合う。周囲の格好良い大人たちの影響を受け、どこか格好良くない大人たちを冷静に見つめながら主人公が成長していく日々のこと。
案内者プロフィール
鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、周年記念誌など)のライティングと編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来を考える10冊」など。
書籍情報
『ぼくは勉強ができない』(1996年3月発刊) 現在、新潮文庫から販売