選定者私物の本

案内文02

「作家というものはこの世界に恋をしていなきゃならないんだ」
フリーライター・もがみたかふみ

『パパ・ユーアクレイジー』ウィリアム・サローヤン

『パパ・ユーアクレイジー』はアルメニア系アメリカ人ウィリアム・サローヤンの小説だ。この作品は、息子の視点から、主に作家である父親との会話や生活を描いている。

作品の冒頭で、父親は息子に一つ仕事をあげよう、と言い出す。

「仕事って?」
「仕事さ、小説を書く」
「僕、書き方を知らないんだ」
「知っているとうそぶいて許されるのは偉大な作家だけだ」僕の父は言った。「お前にはまだ早い」
「だって、僕は何を書くの? 何について?」
「お前自身についてさ、もちろん」
「僕自身? 僕って何だろう?」
「それは小説を書いて発見するんだね。私は私で料理の本を一冊書こうと思っている」

(『パパ・ユーアクレイジー』より)


軽口が多くて理屈っぽくて能弁な父親と、まっすぐに純粋で、軽々と理屈を飛び越える息子。二人は生活を共にし、折に触れて人生や、小説を書くことについて対話する。この対話が、いかにも小学生の男子と語っているような、あの奇想天外な面白みにあふれている。クレイジーな対話が、毎日の生活の中に織り込まれている。

私がサローヤン大好きな理由は、そのユーモアだ。サローヤンの視点から描かれる人物たちは、みなどこか優しく、ユーモラスだ。

「あなたは本当に料理の本を書くつもりなの? 父さん」
「もちろん私は書くつもりさ。お前は本当に小説を書くつもりかね?」
「ウン。僕、書いたっていいと思ってるよ」
「思ってるだけじゃなくて、本当に書くつもりはあるのかな?」
「僕はトマトって綴れないんだ」
「ポテトはどうだい?」
「僕はポテトも綴れないよ」
「どんな言葉が綴れるのかね、お前には?」
「僕の名前」
「じゃあ、お前は小説を書く用意はできてるわけだ」

(『パパ・ユーアクレイジー』より)


ユーモアとは一つの愛情の形だ。サローヤンはその描くものを愛しているし、そのことをありのままに、生き生きと描き出してくれる。

「作家というものはこの世界に恋をしていなきゃならないんだ。さもなければ彼は書くことができないんだ」
「どうして書けないの?」
「それはね、善いものはすべて愛から発するからさ。作家がこの世界に恋をしている時、彼はすべての人に恋をしているわけだ。そこのところを本気で追求してゆけば彼は書くことができるのさ」

(『パパ・ユーアクレイジー』より)


この愛すべきユーモアこそが、サローヤンの作品を繰り返し読みたくなる、どの作品にも共通した魅力だと思う。

英文学研究をしている友人に「実はサローヤンが好きなんだ」と打ち明けたら、彼は「へえ」というように眉を上げて「今でもサローヤンなんて読む人がいるんだね」と論評した。

そうなのだ。今でも、後でも、ずっと私はサローヤンを読むだろう。それは愛すべきもののことを私に想起させ、愉快な気持ちにさせる、温かいコーヒーのような小説なのである。

あらすじ/『パパ・ユーアクレイジー』ウィリアム・サローヤン 著 伊丹十三 訳

アメリカ・ロサンゼルス郊外の海辺の街で、父と息子の生活が始まる。10歳の少年が世界に対して抱くさまざまな疑問に、父はひとりの人間として真摯に答え、息子は父との対話を通して生きることの意味を学んでいく。小説家・劇作家として人気を博したサローヤンの自伝的小説。

案内者プロフィール

もがみたかふみ。1973年生まれ。フリーライター、Web系エンジニア。文芸同人誌『有象無象』編集長。ひまさえあればパソコンやスマホを弄っているギーク。文章、写真、デザイン、コーディングまで一通りこなす自走式フルスタックブロガー。モットーは「歩くように踊ること。友人に手紙を書くように文章をつづること」

パパ・ユーアクレイジー

書籍情報

『パパ・ユーアクレイジー』(1979年新潮社より発刊)。
ブロンズ新社からも発刊、2018年現在はすべて絶版。
古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可。