案内文01
「「世界と出合う」って、こんなことだろう」書店「Title」店主・辻山良雄
『パパ・ユーアクレイジー』ウィリアム・サローヤン
「読書案内」と題されたウェブサイト用の文章にそう書いてしまうのも気が引けるが、わたしには「誰かに薦められて読んだ本」の記憶がほとんどない。わたしにとって本は自分の興味に任せて読むものであり、次に読むべき本はそのときに読んでいる本が教えてくれた。高校生のころはまだインターネットも普及していなかったので、事前の情報はまったくない状態で、本は書店の広大に見える本棚から勘を頼りに掘り当てるしかなかった。
しかしそうした本との出合いかたは、ある意味で「変わらない」自分を作ってくれた。四十も半ばを過ぎたいまでも、高校三年生から一年の浪人生時代のあいだに読んだものが、自分の変わらぬ〈核〉となっていることは、その当時は想像もしなかったことだ。
その頃は新潮文庫の外国文学の古典を、目についたものから読んでいた。ドストエフスキー、カフカ、ディケンズ、ヘミングウェイ……。その作品はどれも「確かにこれを読んだ」という手触りを残してくれるものばかりであり、その栄養を貪るように、次々と「寝食も忘れて」読みふけった。
ウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーアクレイジー』もその頃に出合った一冊である。10歳の少年が作家である父との会話のなかから、次第に世界の見方を学んでいく物語は、ストーリーを追うというよりは、目のまえの光景が詩的に、思索的に記述されるその筆致が特に印象に残る。
彼は良い物語りは、つねに、すべについての物語りなのだといった。僕は彼に、僕もいつか物語りを書きたいといった。彼は答えた。「お前は毎日物語りを一つずつ書いているんだよ」(『パパ・ユーアクレイジー』より)
たとえ父と息子だったとしても、〈わたし〉と〈あなた〉のあいだには、明確な境界線が存在する。「原文の人称代名詞を可能な限り省略しない」というルールのもと訳された文章には、爽やかななかにも、西欧圏の〈個〉としての厳しさが存在している。自分が生まれた世界があたりまえのものであると疑いもしなかったわたしにとって、『パパ・ユーアクレイジー』は、こことは異なる世界があることを教えてくれた物語だった。
残念ながら『パパ・ユーアクレイジー』は、現在新刊としては手に入らない。しかしその時はわからなくとも、「この本が自分にとって大切な一冊だったのだな」と振り返って思う本は、誰にとっても存在する。そうした本と出合うためには、まずは書店の本棚の前に立ち、気になった本の頁を開いてみるところからはじめるしかない。
あらすじ/『パパ・ユーアクレイジー』ウィリアム・サローヤン 著 伊丹十三 訳
アメリカ・ロサンゼルス郊外の海辺の街で、父と息子の生活が始まる。10歳の少年が世界に対して抱くさまざまな疑問に、父はひとりの人間として真摯に答え、息子は父との対話を通して生きることの意味を学んでいく。小説家・劇作家として人気を博したサローヤンの自伝的小説。
案内者プロフィール
辻山良雄(つじやま・よしお)。兵庫県生まれ。2016年1月10日、荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店Titleをオープン。新聞や雑誌などでの書評、カフェや美術館のブックセレクションも手掛ける。著書『本屋、はじめました』(苦楽堂)、『365日のほん』(河出書房新社)、画家・nakabanとの共著『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)が発売中。
書籍情報
『パパ・ユーアクレイジー』(1979年新潮社より発刊)。
ブロンズ新社からも発刊、2018年現在はすべて絶版。
古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可。