案内文02
「誰ひとりとして脇役のいない」編集者・鈴木朝子
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
今年9月の引退を発表している歌手のライブドキュメンタリーをいくつか観たことがあって、ライブ直前の場面がかならず入るのだけれど、バンドメンバーやダンサーの人たちと円陣を組みながら、彼女はいつも同じことを言っていた。
「それぞれにとって良いステージにしてください」
かすかな違和感のあとに、深い納得感が来て、自分の違和感こそ違和感だと思う。アムロちゃんはそのライブを自分だけのステージとは思っていなかった。ライブに関わるメンバーが自分のために仕事をしているという発想などハナから持っていなかった。「よろしくお願いします」でも「ありがとう」でもない、「それぞれにとって良いステージにしてください」。それは人が人と向き合う時の基本的な姿勢であり、当然の敬意であるのかもしれなかった。
深夜にバナナが食べたいと言ってボランティアを起こし、眠いボランティアさんがやっつけ仕事で食べさせるバナナを1本食べ終わってさらに「もう1本」と告げた鹿野靖明さんは、確かにこの本の主役だと思う。鹿野さんは完全介護の必要な体で病院を飛び出し、ボランティアを募集し、みんな自分で面接して採用し、彼らに囲まれて暮らした。喉へのチューブの挿入に失敗すれば文句を言い、ボランティアのシフト変更が相次げば不満をもらし、手を抜いた仕事をすれば火のように怒る。ちゃんとやってくれないと、自分が死んでしまうから。つまり鹿野さんはどんな時にも言葉通り必死だった。
自分が「こう生きたい」と願ったかたちを実現するために、できる限りの手を尽くす。そうして手に入れた日々を必死に生きる。
わがままと自己中は違うよ、と私に教えてくれた人がいて、その人は「僕はわがままな人は嫌いじゃない」と続けた。鹿野さんはめちゃくちゃにわがままな病人で、しかし少しも自己中心的ではない。要望を臆さず伝え、思いどおりにならないと腹を立てて八つ当たりをする人はわがままかもしれないけれど、自分の常識で他者も生きているのだと思い込む自己中心的な人物とは違う。
鹿野さんは周囲の人々が自分の思い通りに動かないことも、自分とは違う目でものを見ていることもとっくに承知だった。だから誰もが鹿野さんのために生きるのではなく、鹿野さんのそばで自分を生きることができた。
要するに、この本では誰もが主役だった。病気の鹿野さんと、支えるボランティアさんがいるのではない。筋ジストロフィーという病気があって、それをその身に引き受けた鹿野さんがいて、生活をサポートするというかたちでそれに向き合うボランティアさんがいて、並走しながら描く・伝える役割を担った渡辺一史さんがいる。鹿野さんの苦難、ボランティアの葛藤は、そのまま渡辺さんの苦難になり葛藤になる。そうしてみんなが、「筋ジストロフィーという病気を抱えて人が生きるということ」そのものを、それぞれの立場から見つめる。考える。そして私は、読者という立場で「確かに見届けた」という役割(?)を担うことができた圧倒的な幸せにただただ感謝する。
あらすじ/『こんな夜更けにバナナかよ』渡辺一史 2003年
人工呼吸器を装着した彼は、病院でも親元でもなく、自宅でボランティアと共に24時間を過ごす。遺伝性疾患で難病指定されている「筋ジストロフィー」を患う鹿野靖明さんと、彼の毎日を支えるボランティアの日々を描いたノンフィクション。著者は本書で講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した。
案内者プロフィール
鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、社史など)のライティング・編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来をかんがえる10冊」など。当サイト主宰。
書籍情報
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』
2003年3月に北海道新聞社より発刊。
現在は文春文庫として発売中。