案内文02
「実感や実益を伴わない新鮮な驚き」 編集者・鈴木朝子
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』NHKスペシャル取材班
日々のなかで起きるできごとについては、それまでの思い込みが実は間違っていた、と気づかされることには少し慣れている。例えば「頑張れ」という言葉が時に人を傷つけることを知ったのは10代後半になってからのことで、その発見にはすでに幾つかの経験からくる納得と実感があった。それから、数学が苦手だった逃げ道(?)に、数学なんて大人になってから何の役にも立たないじゃないか……と思っていたけれど、論理的な思考における数学の重要性にもあとで気がついた。
そうやって、実感を伴ったり実益を兼ねたりする発見に対しては、それまでの「正解」や「思い込み」を「場合によって不正解」にチェンジすることができる。新鮮な驚きはないけれど、深い納得がある。てきとーな言葉で言えば、それが大人になった手応えでもあった。
そういう実感や実益の伴わない発見というか、自分の毎日と直接的には関係のないところで見つけられた「発見」にハッとすることは、子どもの驚きと似ている。そのことは未来を広げてくれる。
「なぜ人は戦うのか。(略)『まだ明確な答えは見つかっていない』としながらも、闘争が始まった前提条件として『ひとつは定住性だ』と語った。定住。1か所に住み続ける選択が戦いを生む条件のひとつになったと言うのだ」
そうだったんだ! と思う。狩猟によって糧を得ていた人々が争うことをやめて定住し、協力し合って農耕を営む——という流れがあったのだと思い込んでいた。
「1年間に何回も移動するような生活ではなくて、1年を通じて同じところに住みはじめる。そうすると、徐々に社会も大きくなり、社会の構造も変わっていくのです。(略)定住をつづけようという社会においては、より自分たちのテリトリーが大事になってくると思います。やがてテリトリー同士のあいだで、領域の争いが徐々に起こってくる環境ができ上がっていったのだと思います」
思い当たることがなくはない。この仮説を生かすべきだということもぼんやり分かる。
「私たちが垣間見たことは、人間の深い進化の歴史の一部だと思います。私たちはこの歴史を認め、受け入れる必要があると思います。私たちは、ある意味で、それを抑制する術を持っています」
もっと大きな発見から、もっと大きな知識の軌道修正から、私たちはいま見えている姿よりも明るい未来を描けるようになるかもしれない。
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』は、この企画を考えたことで読むチャンスをもらった本だった。選んでくださった吉田千枝子さんの案内文に「美味しいところだけまとまって読めるのはなかなかない」とあった。それで俄然読む気になった。新しい驚きに出会い自分の知識を更新することを「嬉しい」と思う感性を、自分も持っていたいと思った。
あらすじ/『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』NHKスペシャル取材班 2012年
NHKスペシャル「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」(2012年放送)を書籍化したもの。人間は心を動機として行動する生き物である、その「心」はホモ・サピエンスになってから約20万年の歴史の産物である、という観点からヒトという種への理解を深める一冊。私たちの祖先は歴史のなかで脳を進化させ、脳が作り上げる心もまた進化させてきた。その過程を、アフリカの大地をはじめとする各所への取材をもとに探っていく。
案内者プロフィール
鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、周年記念誌など)のライティングと編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来を考える10冊」など。当サイト主宰。
書籍情報
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』(2012年1月発刊)
2018年現在、書籍は絶版。古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可能。Kindle版あり。