選定者私物の本

案内文01

「「罪の赦し」とは何か」フリーライター・もがみたかふみ

選定者

『ブラウン神父の童心』G・K・チェスタトン

『ブラウン神父の童心』は、ブラウン神父が登場する作品群の最初の短編集である。アイザック・アシモフや江戸川乱歩など、世界中の作家たちをも心酔させてきた推理小説だ。

この『ブラウン神父の童心』に収められた「折れた剣」は、ブラウン神父のなかでももっとも有名な一節が登場する。
小男はうなずき、ちょっと黙ってから、「賢い人間なら樹の葉はどこに隠すかな ? 」と訊く。
すると「森のなかですよ」と相手は答える 。

(『ブラウン神父の童心』より)

「葉を隠すなら森の中」というフレーズはあまりに有名になったので、これがチェスタトンの創案であると知らない方もいるだろう。チェスタトンお得意の秀逸なパラドックスだ。

だが、実は、この短編「折れた剣」のトリックは、そのさらに先がある。
「賢い人はどこに樹の葉を隠すか? 森のなかだろう 。だが 、森がなかった場合にはどうするかな ? 」

(『ブラウン神父の童心』より)

「森がなかったらどうするか?」 これこそがこの短編の秀逸なところなので、是非一読をお勧めする。

このシリーズを独創的トリックの推理小説、として評価することもできるが、私はそれでは少々物足りない。シャーロック・ホームズの同時代に生まれたこの推理小説は、ただトリックが面白い、という以上に、「罪の赦し」というテーマをもった小説として秀逸だ。

ブラウン神父はカトリックの坊さんで、ずんぐりむっくりの短足、愛用のこうもり傘を片手に、黒い僧衣に身を包んでいる。落ち着いて穏やかな人柄だが、その実、鋭い知性を秘めている。

ブラウン神父は、聖職者として聴罪師として、人々を理解し、その「よき隣人」であろうと努力している。そして、犯罪の現場に行き当たった神父は、自ら犯罪者と同化するまで考えぬき、犯人と、事件とを理解する。

ああいったことが、まさにどのようにして起こるものなのか、どういう精神状態ならああしたことが実際にできるものなのかを考えぬきました。そして私の心が犯人の心とまったく同じになったと確信がもてるようになったら、むろん、犯人が誰だかわたしにわかったのです。

(『ブラウン神父の秘密』より)

「罪を犯すということ」と「罪を赦すということ」、一見すると対立しかねないこの二つを、ブラウン神父は心の中に同居させ、両立させている。

こうした「罪の赦し」に関する深い洞察は、カトリックに信仰心を持ち、プロテスタントが主流のイギリスでわざわざカトリックに改宗までしたという、チェスタトンならではの考察だと言える。この小説には、一つの宗教がおよそ1900年の時間をかけて到達した、「罪の赦し」ということについてのエッセンスが込められているのだ。

高校生の私は、「赦す」ということについて、この小説から大いに示唆を受けた。正直言って、その頃の私がなぜそんなに深く「赦す」ということを考えていたのか、今となってはおぼろげだ。ただあらゆることを当時は真面目に考えていたのだろう。

人はどれほど真剣に他者を理解できるだろう。どれほどの罪を赦すことができるだろう。

その答えの片鱗をブラウン神父の物語は教えてくれる。

あらすじ/『ブラウン神父の童心』ギルバート・キース・チェスタトン著 中村保男 訳

貧しく犯罪の多い教区でカトリック司祭を務める「ブラウン神父」が、もうひとつの顔であるアマチュア探偵として、鋭い洞察力を持って事件を解明していく。トリックと風刺、ユーモアの散りばめられた短編によってシリーズ化されたブラウン神父登場作品は、世界のミステリ史上の名作、あるいは探偵小説の古典とも評価されている。ブラウン神父は、著者がカトリックに改宗するきっかけとなったジョン・オコンナー神父をモデルとしている。

案内者プロフィール

もがみたかふみ。1973年生まれ。フリーライター、Web系エンジニア。文芸同人誌『有象無象』編集長。ひまさえあればパソコンやスマホを弄っているギーク。文章、写真、デザイン、コーディングまで一通りこなす自走式フルスタックブロガー。モットーは「歩くように踊ること。友人に手紙を書くように文章をつづること」

ブラウン神父の童心

書籍情報

『ブラウン神父の童心』(1959年に東京創元社から発刊)
現在、創元推理文庫として発売中。