選定者私物の本

案内文01

「イマジネーションが科学知識を圧倒する」
フリーライター・もがみたかふみ

選定者

『火星年代記』レイ・ブラッドベリ

ご紹介するのは「SFの詩人」と称されたブラッドベリの傑作『火星年代記』である。

この物語は、1999年に地球人が火星に到達してから、およそ30年間の出来事を時系列で語っている。

我々は普段、半ば無意識に、科学知識を金科玉条とする日常に生きている。頭が悪ければ遺伝の法則、風邪をひいたら細菌のせい。磁石がくっつくのは電磁力、リンゴが落ちれば万有引力、新緑が眩しいのは光合成で、春来たりなば自転軸のせいだ。

無反省に生きていると、こうした物理法則に意識を奪われ、頭が固くなっていく。

ところが、ブラッドベリの描く火星に厳密な考証はない。火星には空気がある。火星人たちが暮らしている。彼らはテレパシーを持っている。不思議な事件が次々に起きる。

それでいいのだ。イマジネーションが科学知識を吹き飛ばした後には、純粋な物語だけが残っている。作家は物理法則から解き放たれて自由な物語を得る。

それはちょうど、具象的な描線から解き放たれた抽象画家が自由に思うまま線を引けるのと似ている。サイエンスとファンタジーが絶妙の割合で配合されて鮮やかな物語を描く。

その自由な描線が紡ぎ出す30年はまたなんと豊かな物語だろうか。たったの30年で、二つの惑星がどれほど変わってしまったことか。

地球の人々が火星にやってきて、あらゆるものが目まぐるしく変わっていく。

「われわれは火星を損じはしないよ」と、隊長は言った。「火星は大きすぎるし、善良すぎる」
「そう思いますか? 大きい美しい物を損なうことにかけては、わたしたち地球人は天才的なのですよ」
(『火星年代記』より)


この言葉が持つ重みは、作品の中で次第に明らかになっていく。

地球人の活動の舞台となった火星で、ブラッドベリが描くのは、人の営みだ。それは地球とは違っていながら、しかしどこも地球と違っていない。

地球の人々が火星へやって来た。
こわいから来た人、こわくないから来た人、幸福だから来た人、不幸だから来た人、巡礼の気持で来た人、巡礼の気持ちを感じずに来た人。ひとそれぞれの理由があった。悪妻や、辛い仕事や、居心地のわるい町から逃げて来た人。何かを見つけるために、何かを見捨てるために、何かを手に入れるために、何かを掘り出すために、何かを埋めるために、小さな夢を抱き、大きな夢を抱き、あるいは全く夢をもたずに、やって来た。
(『火星年代記』より)


地球をどんなに遠く離れても、人の営みは続く。人の営みはどこまで続くのか。人の愚かさはいつまで続くのか。人類はどこまで広がることが許されるのか。

あるものは美しく、あるものは短く、あるものはおどろおどろしく。さまざまな相を持つ短編の数々。読み返すたび、この惑星にあふれかえっている人の営みについて考えさせてくれる素晴らしい空想作品。

あらすじ/『火星年代記』レイ・ブラッドベリ 著 小笠原豊樹ほか 訳

書かれた当時は未来だった「1999年」から「2026年」までの年月が付けられた26の物語を連ね、ひとつの長編とした作品。火星を探検する地球人と拒む火星人の対立、地球から火星への植民、地球での核戦争、火星に残った人々のその後……と一連のエピソードが語られていく。1997年に発刊された改訂版では、前書きといくつかの物語が書き加えられ、描かれた未来に実際の年代が近づいたことから各編の年代が31年繰り上げられた。

案内者プロフィール

もがみたかふみ。1973年生まれ。フリーライター、Web系エンジニア。文芸同人誌『有象無象』編集長。ひまさえあればパソコンやスマホを弄っているギーク。文章、写真、デザイン、コーディングまで一通りこなす自走式フルスタックブロガー。モットーは「歩くように踊ること。友人に手紙を書くように文章をつづること」

火星年代記

書籍情報

『火星年代記』(1963年早川書房より発刊)
(これより前の1956年に元々社の最新科学小説全集から『火星人記録』として発刊されている)
現在、ハヤカワ文庫として発売中。