案内文01
「自分だけが大切にしていた」編集者・鈴木朝子
『クリスマスの思い出』トルーマン・カポーティ
私が小学生だった時代は、環境問題がまだぼんやりしていて、各地の学校には「焼却炉」があった。校庭から見てたいてい校舎の裏手に建てられていて、そこで校内のごみが燃やされる。掃除当番で校庭を掃除する担当の日に、たくさん集めた落ち葉を持っていって、落ち葉が焼却炉に放り込まれる音も匂いも好きだった。
そこにいたのが「真壁さん」という人だった。用務の先生とか、用務のおじさんとか、子どもによって呼び方は違ったけれど、校内のあちらこちらの環境整備が真壁さんの仕事だったと思う。私は真壁さんのことが好きで、真壁さんのところに落ち葉を持っていくのも好きだった。漠然と顔も覚えている。彫りの深い顔立ちに、夏は麦わら、冬はざっくりしたニット帽をかぶっているのがかっこよかった。いかにも働いている、という感じがした。平凡なスーツを着てもののわかったような髪型(?)をして黒板の前に立っている先生たちとは、くらべものにならないなと思っていた。
口数の多い人ではなかったけれど、落ち葉を持ってくたびに、ひとことふたこと話しかけてくれた。ある時、何かの話の流れから「名前さ、いい名前だよね」と言われた。
名前を褒められることはたまにあった。よくありそうで意外と少なく、「ちゃん」をつけたりあだ名をつけたりして呼び合うことの多い小学生時代、私はみんなから名前を呼び捨てで呼ばれていて、それも大人には印象的だったのかもしれない。華やかで可愛らしい名前の友達と比べて、自分としてはなんとなく地味だと思っていたし、地味だからよく大人に褒められるのかなとも思っていた。でも真壁さんに褒めてもらえて「あ、ほんとなんだ」と思った。
これは瑣末な思い出話で、語るほどのことでもない。ただ、忘れたことはない。
『クリスマスの思い出』の主人公 ─── カポーティ自身と言われる少年は、少年時代の孤独な記憶のなかに、あたたかい記憶をとどめている。心が子どものままの60歳の従姉と、クイーニーという名の犬と「3人」で過ごした日々のこと。
ささやかで取るに足らない小さな思い出が、小さな心に積もっていく。ささやかならささやかなほど、友だちと共有できないものであればあるほど、思い出は溶けない。そういう思い出が、自分の生活と、自分が読んだ本の中にあることが、その先の長い人生で心が凍るような時のともしびになってくれるような気がしている。
あらすじ/『クリスマスの思い出』トルーマン・カポーティ 著 村上春樹 訳
「遠い日、僕たちは幼く、弱く、そして悪意というものを知らなかった」(単行本帯の本文引用)。遠縁の親戚の家を転々として育った主人公が、従姉にあたる老女と老犬と一緒に過ごしたある年のあたたかいクリスマスのことを振り返る。
案内者プロフィール
鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、社史など)のライティング・編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来をかんがえる10冊」など。当サイト主宰。
書籍情報
『クリスマスの思い出』(1990年文藝春秋社から発刊)
発売中。短編集『誕生日の子どもたち』(文春文庫)にも収録。