案内文01
「長期で勝負! でいきましょう」編集者/ライター・月岡 誠
『新宿駅最後の小さなお店ベルク』井野朋也
どう生きていくか、は組織人と個人事業主とでは大きく違います。中学生のころに読んだ筒井康隆の短編小説で、エイリアンに身体を乗っ取られたサラリーマンとフリー系職業人の集団同士が血みどろの殺し合いをするものがあって、当時は人間の壊し方がすごいなあ、としか思いませんでしたが、この年になると両者の深い溝がわかり、筒井さんの両方の憎み合いの捉え方、すごいなと。
この本の著者は、新宿駅の地下街でコーヒーとビール、ソーセージにこだわったお店を営んでいます。お父さんがやっていた喫茶店を引き継いだこと、日本で屈指のターミナル駅にあることなど、恵まれている面も確かにあります。ですが、チェーン全盛の中で個人店が生き残るためのノウハウが詰まっていて、しかも、組織人にも応用できるところが結構あったりします。
コーヒーマシンの選定や、特注のパンやソーセージを作ってもらうこと、立ち飲みスペースの活用、お客様のもてなし――など、さまざまな経験が語られます。大手とどう違う土俵で勝負するか、が繰り返し言われますが、場所柄もあって「早い、安い、うまい」の基本は崩さない(だからドリップ1杯入れでなくコーヒーマシンね)ことや、路上生活者に近いお客様も排除しないで接客するなど、セレブごひいきの“こだわりの名店”とは違うスピリッツがある。もちろん、コーヒーメーカーの営業マンがわざと同じコーヒーを並べて、どう違うかと問う意地悪に、「同じです」と間髪を入れずに答えられる鍛えられた味覚や、パン・ソーセージ職人を「いっちょやったろう」という気にさせる注文の出し方(完成品のイメージの伝え方)など、「あー凡人には無理」的な部分もあります。が、これも「毎日本気で飲んでいる・食べているから」と、才能より努力が理由になっています。そして、奥方やバイト、あるいは常連なども含め、いい店・いい空気をつくっていく感じが伝わってきます。「来店者を客にする」「来店者が客になる」という言い回しもそこいらを指すものかと。
こういう協力者も含めた集団・空間づくりがいい仕事につながる、のは組織にも共通するものだろうと思います。やはり何度も言われる「個人店は長期で勝負」を「個人は長期で勝負」と読んだり、とか。最近「運・鈍・根」を強調する企業トップが少なくなったような気がしますが、スピードばっかり言われる情報化社会に振り回されない指針を読み取ることができる本です。
あらすじ/『新宿駅最後の小さなお店ベルク』井野朋也 著
東京・新宿にあるカフェ「ベルク」は、1日の乗降客数世界一を記録したこともある巨大ターミナル駅の駅ビルで純喫茶として誕生した日から間もなく50年を迎える。著者である井野朋也さんは2代目店主で、1990年にベルクをファストフード型の店舗に変更させた。2007年に、駅ビルの運営会社から立ち退きを要求されたものの、店主はこれを拒否し、ファン約9,000人から立ち退き要求への反対署名が集められた。大型チェーン店には難しい創意工夫をくりかえし、新宿という街が持つ良さを大切にしながら時代とともに変化を続けてきたベルクのこれまでが描かれた一冊。
案内者プロフィール
月岡誠。1961年東京生まれ。双子。仙台6年、埼玉22年。妻子アリ。専ら社史のライティング、たまに編集、ごくたまに企画。「愛は破れるが親切は勝つ」けど愛も欲しいやね。パス重視だけど、ちょっとは「拍手が欲しい」。「人は死ねばゴミになる」けど、なかなかそうは悟れん。嗚呼、凡庸也。
書籍情報
『新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには?』(2008年7月スペースシャワーネットワークから発刊)
2014年12月にちくま文庫に。単行本、文庫本ともに発売中。