案内文01
「読み切れなかった広い愛」『読書人』代表取締役・黒木重昭
『まり子の目・子どもの目』宮城まり子
「財界賞」という経済人を顕彰する催しがあります。
『財界』という経済誌が主催してその年に顕著な活躍や貢献をした人や団体などを讃えるのですが、2018年の贈賞式は年が明けて1月18日(金)、いつものように東京會舘で開かれました。意外であったのは、経済人が表彰されるこの会で「特別賞」として宮城まり子さんが選ばれ、久しぶりに多くの方々の前に姿を現したことでした。
名前を聞いてもほとんどの若い人は知らないと思いますが、まり子さんは1960年代から70年代にかけて人気のある歌手であり演劇人でした。小柄な体をいっぱいに使って、張りのある声、そして豊かな表情と演技力で一時代を築いた人物です。まり子さんの受賞理由というのが「長年にわたりねむの木学園の運営を通じて、障害を持つ子どもたちをたくさん見守り社会的に大きな貢献をした」というものです。まり子さんは脚光を浴びる芸能の世界から一転して、たいへんな私財を投じて児童福祉施設「ねむの木学園」をスタートさせたのです。
まり子さんはこの「ねむの木学園」での子どもたちとの交わりを『まり子の目・子どもの目』という単行本にして発行しています。私はこの本を発行した小学館という出版社の、この本の担当者でした。式後、その他の受賞された経済人たちはパーティに混じって歓談していたのですが、歩き回ることが不自由なまり子さんは、壇上に残って椅子に座っておられました。私は少し勇気を出して受賞のお喜びの言葉を伝えに行きましたが、私のことを覚えていてくださったようです。「あら、貴方幾つになったの? あのころは幾つだったの?」と年齢を問われました。ご自身91歳になっておられて言葉を自由に操ることも難しそうなのに、最初に口にされた言葉が目の前にいる他人への気遣いであることに私は驚きました。どんな場合でも相手を思いやる気持ちが、障害を抱えた子どもたちへの愛のまなざしとして大きく発揮されたのが「ねむの木学園」の運営です。
今年のスタートが思いがけなく懐かしい人との出会いに、この「まり子の目・子どもの目」をもう一度読まなくては!と思いました。しかし、この本は出版した小学館でも絶版になっており入手が困難です。ネットのA社で探すと書き込みがあったり、少し汚れていたりしましたがわずかに在庫があり、すぐに注文しました。
届けられるのを待って奥付を開いてみると、昭和58年5月25日(1983年)初版発行と書かれています。36年前、私はこの本が全国に出まわるのをお手伝いしたのだ、と思うと涙の出る思いがしました。読んでみると270ページあまりの中すべてに、まり子さんの子どもたちへの思いがいっぱいに詰まっていました。私は若かったころ、そしてまだ読み取れなかったまり子さんの広い愛が、今になってしみじみと心にわきあがってきました。福祉という言葉だけでは片付けられないあふれる愛を、いまの行政や福祉従事者にもお届けしたいという1冊です。
本は時代を超えてさらにメッセージ力を強めているような気がします。本を手にするとき、その本が10年後の自分にどのようなメッセージをくれるのか、ということをイメージするのも本の読み方としてはあるのかもしれません。
あらすじ/『まり子の目・子どもの目 ねむの木学園の〈教育〉発見』宮城まり子
静岡県にある「ねむの木学園」(身体に障がいのある子どもたちのための施設)は、歌手・女優の宮城まり子さんによって設立されたもの。宮城さんは、障がいのある子どもたちが家庭の事情や経済的理由などで、家族と暮らせず、学校に通うこともできな実態を知り、施設設立を思い立った。学園の子どもたちによる絵画展はたびたび開催され、評判を呼んでいる。本書は、学園の軌跡を辿るとともに、子どもたちと宮城さんとの心のふれあいを綴ったもの。
案内者プロフィール
黒木重昭
ふるさとの 尾鈴の山の 哀しさよ 秋も霞の たなびきており (牧水)
田舎は宮崎県延岡市。高等学校の先輩に若山牧水という歌人がいます。
幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅行く
という歌は誰もが知っていう名歌だと思いますが、私はふるさとの山を詠んだ冒頭に掲げた歌が大好きです。高等学校のとき、私は山岳部に所属して九州の山を歩きました。たくさんの山を歩きましたが、よく道を間違えて迷うことが多く、その時には必ず「元に戻る」ということを心がけました。迷った時にそのまま突き進むのも一つの方法ですが、しっかりと腰をすえ直して、これまでの道を振り返って出直すという勇気を持たないと道を誤ることもあります。その点、本はどんなに間違えて読んでも、そこから得られるものはさまざまです。出版の仕事に50年生きてきて、山歩きを思いながらまだまだ出版の世界の可能性を探しています。
書籍情報
『まり子の目・子どもの目 ねむの木学園の〈教育〉発見』(1983年小学館より発刊)。
2019年現在絶版。古書店・Amazonマーケットプレイスなどで購入可。