案内文01
「波長が合うのはなぜかしら」編集者/ライター・月岡 誠
『憂愁の物理学』林 浩一
高校時代、三角関数や角速度に打ちのめされ、自分は文系だと悟って、父親(建築設計技師)の後を継ぐ選択肢は早々に放棄しました。が、ごくまれに科学モノを読んだりします。これは大学時代に手にとり、記憶に残っている一冊。ですので、科学的に今も正しいかは?です。宇宙論、特殊相対論、二元論、量子力学など全12項目で構成され、1項目は大きく太い明朝体で印刷されたエッセイ(落語のまくらですね)と、通常の大きさ太さで印刷されている科学的事象の解説が組み合わさってます。
科学の解説部分では、特殊相対論の説明が「へー」。同論の前提(仮定)は因果律のみで、ここから「どんな速さも光速を超えない。かつ光速は一定」が導かれるという。曰く、人間がみる「光景」は、モノが光を反射したものだから、光速を超えられるとすると反射光を追い越し、そこで振り返れば「過去」がみえる。でもそれは、過去に干渉するので因果律に反する。∴光速は超えられないし、光速は一定(足し算できるとすると超えちゃうから)――妙にわかったような気にさせる説明でした。
独特の言い回しも熱くて印象的。
「自然そのものは別に美しいものでも何でもない。美を求めて人間が懸命に努力を重ねていって、ふとふり返って自然を見直したとき、…『自然は美しい』と思うものなのだろう。」
「何か新奇なことを言いだしたり造り挙げる人が現れると世界は頑迷にこれに抵抗する。そして私はそれは非常によいことだと思う。本物はどんなことをしても生き残る。」
「私は男の純粋に個人的なセンチメンタリズムを笑うことはしない。
我々はそれぞれ自分の『賢者の石』を抱きしめている。たとえ客観的科学的には愚者の石であっても、秘めやかな個人の歴史にとっては科学なんかくそくらえだ。」
「まことに恋は完全な一元論である。相思相愛などというのは偶々位相が一致しただけのことで恋の本質は片思いにある。 恋はエゴイズムの結晶だ。」
「私は批評家、評論家を認めない。一方プロフェッショナルを尊敬する。タクシーの運転手でも煉瓦職人でも心底見とれてしまう。プロとはどんな素人にも決して負けないということである」
「文学が嫌いなら歯ぎしりしてでも数学を勉強して理科に行け。文学と書いたが社会科学だって個々の人間一人一人に対する愛情を持たずして法学も経済学もない。無味乾燥な理科にはそれなりの社会的意義がある。無味乾燥な文科など役場の窓口にも置きたくない。社会と人間に対する情熱を顔面に表せ。生きていく哀しみを背中全体で表せ。」
「個人は寂しい。寂しいからといって低い次元で衆の中に堕落するな。赤信号を皆で渡って喜ぶな。たった一人で赤信号を渡れ。」
「飢えを教えるのが『教育』だ。」
そんでもってエッセイ部分の最後の一行が
「折香は今頃キャベツでも刻んでいるのだろうか。」
折香(オリガ)は、書中にたまに登場する、著者とその友人の高校時代のマドンナです。
よくわからない本だと思われるでしょうが、そのとおり。でも、女性と同じで、わからんけど惹かれる、って大事なんですよ。本書をマネすると、
「タイプだから好き、なんていうのは恋愛ではない。それはただの男女交際に過ぎない。
紀子は今でもカレーを食べ切った後に、福神漬けと白飯をちょっとずつ残して締めの一口にしているだろうか。」
あらすじ/『憂愁の物理学』林 浩一 1985年
物理理論学者であり、文学や音楽の大好きな著者が、独創と偏見に基づいた物理学論を展開。軽妙で洒脱なエッセイによって、“理解嫌い”の人にも広く愛されたされた一冊。
案内者プロフィール
月岡誠。1961年東京生まれ。双子。仙台6年、埼玉22年。妻子アリ。専ら社史のライティング、たまに編集、ごくたまに企画。「愛は破れるが親切は勝つ」けど愛も欲しいやね。パス重視だけど、ちょっとは「拍手が欲しい」。「人は死ねばゴミになる」けど、なかなかそうは悟れん。嗚呼、凡庸也。
書籍情報
『憂愁の物理学』(1985年現代企画室からPQ Booksシリーズとして発刊。
2018年現在絶版。古書店・Amazonマーケットプレイスなどで購入可。