案内文01
「きらめきのほかに呼びかたのない」編集者・鈴木朝子
『光抱く友よ』高樹のぶ子
高校生の頃、生年月日の数字をひと桁ずつ足していって、その合計の数字から運命を占うゲームが流行った。
1977年なら、1+9+7+7+……ということですね。
そうしたら私たち運命おんなじだね、と思ったのは、そのころ仲の良かった友達の誕生日が1977年12月12月で、私のが1977月11月22日だからで、要は足すと同じ数字になる。同じだったのはその数字だけではなくて、身長も体重もだいたい同じで血液型も同じ、どちらもふたり姉妹で妹の年齢も同じだった。
以来、付き合いは20年以上続いていて、人生が浮いたり沈んだりしたその時々に、たいてい最初に報告してきた。長く一緒にいるのはたぶん「おなじ」だからではない。誕生日が近くて家族構成が似ていて体格が決めるキャラクター設定(笑)がおなじでも、おなじものを見ておなじことを聞いて、ふたりがまったく違う感想を持つことはよくあった。違いに気づくたびにそのわけを知りたいと思ったし、環境や条件にもたらされた自分たちの数少ない違いを見つけようとした。それはそのまま、相手を理解しようとする作業だった。
誰かと自分が似ていることは安心で心地が良いけれど、そこに「欲」は生まれない。「そうそう」とか「あるある」をくりかえす付き合いに、強烈な魅力はない。私がそれに気づいたのは大人になってからだったけれど、稀に10代でそれに気づける人もいる。
『光抱く友よ』を読んでから、人と人は「ちがう」から友達になるんだと思っている。
アルコール依存症の母親を抱え、水商売のかたわらに高校に通う「彼女」と、大学教授のひとり娘である優等生の主人公。会話を交わすようになったある日、主人公は彼女から「これ、昨日カツアゲしたもの、あんたにあげるよ」と腕時計を渡される。主人公はクラス中の視線を感じながらその時計を、笑顔でゆっくりと腕に巻きつける。そのシーンは、ありふれた言葉であることを承知で、とてもきらきらしている。
友情というのは、いくつもの共通点を見つけて生まれてくる共感ではなくて、どうあがいても理解することのできない、分かち合うことのできない痛みを必死になってわかろうとする気持ちのことをいうのだと思っている。そしてそういう友情を10代後半の多感で迷いの多い時期に持った人にしか、自分のことで精一杯の頭を他人のために懸命に働かせようとしたことのある人間にしか、持つことのできないきらめきがあるのだと思う。
あらすじ/『光抱く友よ』1984年
大学教授を父に持つ内向的な主人公・涼子と、アルコール依存症の母親とふたりで暮らすクラスメイトの勝美。勝美と出会い、涼子は人生の「闇」を知り、二人は互いに不器用な友情を重ねていく。
案内者プロフィール
鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、社史など)のライティング・編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来をかんがえる10冊」など。当サイト主宰。
書籍情報
『光抱く友よ』(1984年新潮社より発刊)。
新潮文庫から発売中。