選定者私物の本

案内文01

「“卑”に満ち溢れた世にあって」出版企画編集者・岡田 卓

選定者

『粗にして野だが卑ではない』城山 三郎

良質な映画を観終えてエンドクレジットが流れるなか、ゆっくりと静かに拍手を送りたくなる──そんな読後感を味わえる一冊である。それは、石田禮助という人間の気骨溢れる見事なまでの生きざまに共鳴するだけでなく、まるで映画を観ているかのようにその魅力に迫る著者の巧みな構成力、表現力の心地良さから生まれる。


石田禮助(1886-1978)は三井物産に35年間在籍し、海外を中心に華々しい業績を上げ、トップまで上り詰めた後、日米戦争の回避を唱えて辞任する。戦後はしばらく故郷・国府津(神奈川県小田原市)で農業をしながら悠々自適の生活を送っていたが、78歳にして誰もなりたがらなかった国鉄総裁に財界人として初めて就任し、数々の改革を成し遂げた。本書はその生涯を、作家・城山三郎が丹念な取材のもとに描いたものである。


前半に展開される三井物産時代の武勇伝も面白い。だが、企業人としての成功物語であれば、ほかにもたくさん存在する。やはりこの本の真骨頂は、商売に徹して生きてきた石田が晩年、「パスポート・フォア・ヘブン(天国への旅券)」を手に入れるべく、欲得なくサービス・アンド・サクリファイス(奉仕と犠牲)の精神で、国鉄総裁としての使命を愚直に果たす姿にある。

当時の国鉄は全てを国に管理されており、従業員46万人という大組織のトップである総裁は、「何ひとつ権限のない仕事」と誰もが敬遠したポストだった。強固な労働組合、職員の堕落や汚職、政治家からの圧力(利権)と、数多くの難しい問題を抱えていた。そのなかで、長い海外生活で培った合理的な考え方と気骨に満ちた言動によって、「企業的精神による能率的な経営」と「弾力性のある独立採算」の実現に向け、6年の間身を挺して改革を進めた。

とりわけ、総裁就任の年に鶴見事故(列車脱線多重衝突事故)が起きた際、「白髪を振り乱し」「嗚咽で弔辞も読めなかった」石田が、首相への直談判も含め、「安全」を実現すべく鬼気迫る行動をとる姿は圧巻である。一方で、国鉄職員に対しては、「ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ」と発破をかけ、待遇改善やノンキャリア組の抜擢などを次々と実現してみせた。


地位と名誉を手にしても決して驕らない。慣習にとらわれず、人におもねることをしない。部下に仕事を任せ、自分は自分にしかできない仕事をして、全ての責任は負う。自分の意見を率直に伝え、周りの人間の意見に耳を傾ける柔軟性を持ちつつも、決して自分の信念は曲げない。分からないことは分からないと素直に言い、自分を大きく見せようとはしない。それでいて茶目っ気や愛嬌もある。こうした全身からにじみ出る「人間力」に触れると、巷に出回る自己啓発本の類がどうしても薄っぺらいものに見えてくる。

欲を言えば、遠洋漁業の先駆者だった父・房吉、「女次郎長」と慕われた母・イチ、クリスチャンであり孟子の道にも明るかった中学時代の師・江原素六(麻布学園創設者)、学生時代に影響を受け、「人生はたのしむためにも精神が要る」との教えを蒙った海老名弾正(日本的キリスト教伝道師)の存在など、どのようにして人間・石田禮助が生まれ育まれたかについて、より深く知り得てみたいと思った。

あらすじ/『粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯』城山 三郎

第5代国鉄(現・JR)総裁を務めた石田禮助の生涯を描いた評伝。三井物産勤務ののちに78歳で国鉄総裁に就任、在任中に勲一等の受勲を「おれはマンキー(山猿)だよ」と言って固辞した話は語り継がれている。経済小説の旗手・城山三郎の丁寧な取材と温かな視線をもって描かれたベストセラー作品。

案内者プロフィール

岡田卓。1958年東京都生まれ。株式会社アピックス代表。企業・学校等の周年史・コンセプトブック等の企画・ライティング・編集に携わる一方、「中国(生活文化)」「人物」「ニッポン(伝統文化×ing)」などに関する出版企画に取り組む。近年は「行動なくして前進なし」をモットーに、“凄い!”と感じた魅力的な「人」を取材し、自社のWeb雑誌で情報発信する試みに力を入れつつある。

粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯

書籍情報

『粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯』城山 三郎
文春文庫として発売中。単行本(文藝春秋)は1988年に発刊された。