案内文01
「古典的名作とは何か」古書店店主・高松 徳雄
『罪と罰』ドストエフスキー
私がドストエフスキーの『罪と罰』を読んだのは大学受験に失敗して浪人していた時期のことだった。なぜこの本を、この鬱々とした浪人時代に手にとったのかは覚えていないが、結果的に、この時期にこの本を読んだことはとても幸運なことであった。
そもそも古典的名作というものは、いつの時代でもどのような場所でも誰にでも受け入れられる作品であって、10代で読んでも40代で読んでも80代で読んでも等しく心に響く傑作のことである。この作品は今から150年程前にロシアで書かれたものであるけれど、当時からずっと読まれており、そして今後も世界中で読まれ続けるであろう。ということは、古典、という言葉は、一見単に古いものという印象を与えるが、実は、時代や場所を問わず価値を持つもの、つまり、常に現代性を持った、もっとも新しい作品であるとも言える。一体いま出版されている文学作品のうち、百年後にも読まれているものはどのくらいあるだろうか。
この小説の主人公ラスコーリニコフの精神構造に図らずも近づいてしまうということは、特に彼と同じような若い時期には起こりうる事だろう。理想と現実、そして自身の能力の限界を思い知る時、身勝手な考えに陥り、社会を敵と考える。どんな時代でもこのような思想が多くの悲劇を生んだ。150年前とは比べられないほどテクノロジーが進んだ現代では、ちょっとした誤解や過ちで、数百、数千、あるいはそれ以上の命が一瞬で失われる。『罪と罰』も言われる事だが、ドストエフスキーのその他の作品、例えば『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』も、「予言の書」などと表現されることがある。19世紀に書かれたこれらの大著は、戦争と革命の世紀である来たるべき20世紀、そして21世紀を暗示的に予見していたとさえ言われる。
『罪と罰』に重々しく難解なイメージを持っている方もいるかもしれないが、罪を犯したラスコーリニコフを追いつめる刑事のいやらしいネチネチ感にはどことなくユーモラスな面もあり、また、彼を気遣う友人の暖かい眼差し、そしてなによりラスコーリニコフに寄り添うソーニャの絶大な存在、これがラスコーリニコフにも、そして我々読者にも光をもたらし、物語の道しるべにもなる。この遠く彼方に微かに光っているトンネルの出口、これは実は新たな出発点でもあるが、我々読者はいやおうなしにその光を求めざるを得ない。
この作品は確かに楽しいエンタメ小説ではないけれど、登場人物たちの心理の奥底に我々読者がここまで没入してしまうのは、やはりドストエフスキーの巧みな筆致、細かい心象描写によるところだろう。我々はあたかも実際に登場人物たちのすぐ近くに、あるいは、まさに同じ部屋にいるかのような錯覚すら覚える。ロシア語独特の読みにくさや、同じような名前が多く登場することで混乱してしまうなど、外国文学、特に昔のロシア文学を読むということにはある一定のハードルの高さはもちろんあるけれど、なによりもストーリー展開の面白さがそのハードルをゆうに飛び越えるのだった。
読み始めるのに遅い事も、もちろん読めれば早すぎることもない。この作品は、常に現代の必読書であり続けると思う。
あらすじ/『罪と罰』ドストエフスキー
ロシアの貧しい青年である主人公は、高利貸しの老婆を殺害して奪った金品を社会のために役立てることを計画する。しかし実行の当日に、老婆だけでなくその義理の妹も殺してしまう。主人公の罪の意識は、この想定外の殺人によって強いものになり、苦悩する日々を送ることになる。社会に不穏な空気が漂っていた時代のロシアを背景に、ヒューマニズムを描いた歴史的な名作。
案内者プロフィール
高松徳雄。1974年神奈川県生まれ。東京・下北沢の古書店、クラリスブックス店主。
神田神保町の古書店に約10年間勤務し、その後独立、現在に至る。
店では哲学や文学、サブカルチャー、写真集など、さまざまなジャンルの本を取り扱う。
書籍情報
『罪と罰』
これまでに多くの翻訳で出版され、2018年現在は新潮文庫、岩波文庫、光文社古典新訳文庫などから発売中。