選定者私物の本

案内文01

「まなぶということ」元高等学校校長・安積 秀幸

選定者

『光悦考』樂吉左衛門

長い教員生活を終えて、「まなぶ」ということは「まねる」ことから始まると感じています。教員から教えられたことを覚えることを繰り返し、基礎ができあがります。その基礎がなければ、その後の創意工夫はないと思っています。


私が大学に入ってから茶道を始めたきっかけは、「君たちには、自分の国の文化の一つでもいいから身につけてほしい。」という、高校の日本史の先生の一言でした。

高校の教員となって海外交流を何回か経験しましたが、趣味の茶道が大変役に立ちました。海外の方々と話をしていますと、自分の国に大変誇りをもっておられることがわかります。私も茶道を中心とした日本の文化について自信を持って語ることができました。


始めてみると茶道はあらゆる日本文化を総合したものと感じました。なかでも興味を持ったのは「焼物」です。というのも練習を始めてみると常に使うのが茶碗等の焼物だったからです。

本阿弥光悦の作品は美術館や美術全集などで見かけることが多く、また、紹介されている光悦作の茶碗の胴の曲線が何とも言えず好きになっていました。以前から光悦の才能に感心もし、興味を持ってもいました。念願の光悦作と極め書きのついた茶碗を、ある方の好意から直接に手に取って、また写真も撮らせてもらったことがあり、光悦にのめりこんでいきました。光悦に関する書籍も古本屋で買い求めたり、自分の持っている茶道の本を改めて読み返したりしました。

今は、時間を見つけて陶芸を始めています。日々いろいろな技法を教えていただき、その技法を使った皿や茶碗や花入を作っていますが、光悦の茶碗の胴の曲線が気になって仕方がありません。「無理、無理。生意気なことを言うな!」と言われることは百も承知で、「いつかこの線を、この線に近づきたい。」というのが私の新たな目標になっています。平成30年10月28日の新聞の読書欄に、美術家・写真家の下道基行さんが「“まねぶ”ことで“まなぶ”」と寄稿されていました。この寄稿を読んでさらにその気持ちが強くなりました。


この本を知ったのは、平成30年2月18日の神戸新聞の「ヨミゴロです」というコラムに紹介されていたことです。

この本の著者は、有名な楽茶碗の「樂家」の当代です。光悦の茶碗作りの手ほどきをしたのも「樂家」です。この本を読んでいて、詩を読んでいるような気持になったのは私だけでしょうか。

本阿弥家の宗教から始まり、宗教でのつながりから、光悦の背景について考察されています。何よりも、光悦作と言われている茶碗を写真入りで紹介され、著者のそれぞれの茶碗への思いも書かれています。私たちにとって、光悦作の茶碗など全集の写真でしか見ることのできない物ばかりですが、この茶碗の紹介が大変興味深いものです。「この茶碗を仮名文字に例えると……」という紹介は今まで読んだこともありません。

千家十職のひとつの「樂家」の当代としての茶碗に対する想いや感じ方は非常に面白く久しぶりにすがすがしい読後感を味わうことができました。光悦に対する著者の思いも素晴らしく、光悦の研究者の林屋晴三氏との交流も書かれていました。林屋晴三氏は昨年の4月に亡くなりました。その訃報の新聞記事を切り抜いていましたが、ようやくその切り抜きの納まる場所ができました。

光悦の茶碗に無造作を感じた著者は、

私に頭の中でたちまちに広がっていく観念、それはとことんまで突き詰めずに自ら手放すこと。究極と思えるところまで形を追い求めない、過程の中に究極を自ら放棄すること。光悦がそのことを自覚していたのだとしたら……。もし光悦がこの完璧といえる造詣の追及にあえて未完の領域を忍ばすことにより気韻生動たる命を吹き込んだとしたら……、私の背筋にぞくっと寒気が走った。

と書かれています。このような表現で光悦の茶碗を見つめておられます。


光悦は、たくさんの日本文化を学び、このような境地に達したのだと感じました。

あらすじ/『光悦考』楽吉 左衛門

楽焼(ろくろを使わずに手とへらで成形して作られる陶器)の茶碗師の十五代目・樂吉左衛門氏が、江戸時代初期の芸術家である本阿弥光悦について語る。光悦の人物像、本阿弥家に流れる精神、光悦の茶碗への思いなどが描かれている。もっとも影響を受けた人物に光悦を挙げる著者が光悦の作陶に向き合った軌跡が記された一冊。

案内者プロフィール

安積秀幸。1950年、兵庫県姫路市生まれ。高等学校教員、兵庫県教育委員会事務局職員、私立高等学校教員を経て退職。陶芸を始めオカリナ等を作成。そろそろ断捨離をして身の回りの物を少なくしなければならない年齢なのに、全く逆の生活を送っています。

光悦考

書籍情報

『光悦考』(2018年2月発刊)。
淡交社から発売中。