選定者私物の本

案内文01

「いまここにない物語」編集者・鈴木朝子

選定者

『ビーナスブレンド』麻生哲朗

先週、東急池上線に乗って、ある駅で降りた。初めて降りる駅だった。改札を出るとすぐに小さな商店街があって、その向こうの視界が開けていた。ということは駅のある場所は高台になっていて、駅から少し歩けば見晴らしの良いスポットがたくさんあるのだろうと思った。そうやって好きな感じの場所を訪れると、自分がそこで生活していることを空想する。

たとえば家族も仕事もふりだしに戻してひとりで暮らしていくことになったり、何かの間違い(?)があって小さな子どもとふたりで新しい町に移ったり……いまのところはあり得ない設定のなかで、自分がその町の商店街を歩いて、少しずつその町の人々に受け容れられていく様子を思い浮かべる。あったかもしれない過去というか、ないはずの未来というか、とにかく「いまここにない物語」を想像しながらその町を歩いた。

どんな場面設定であっても、家族も仕事もリセットされるというのはふつうネガティブな状況だし、それが空想以上のものでないのは有難いことではある。でも、「いまここにない物語」は、人の心のなかにたくさんあるといいと思っている。とくに、思い迷う場面の多い10代後半の人たちにとって。

いまここにない物語を、自分のなかにどれほど多く持つことができるか。いまここにない物語というのは端的に言えば「逃げ場」のことで、あったかもしれない過去や、あるかもしれない未来を具体的に描いてみることで、いま居る場所を客観的に眺めることができる。物語と現実を見くらべて、現実のほうがまだマシだとか、どっちもどっちだとか、そんな風に思えればまぁいいし、物語の世界のほうがよほど素敵だと思えたら目標ができる。なにより、本のなかに「ちょっと行ってみる」ことのできる町があって、気持ちを持って行く場所があることで、人はずいぶん気楽になれる。

思い起こすと、本のなかで訪れた「主人公がそれまでのしがらみを捨てて新しい生活を始めた町」のなかで、圧倒的に記憶に残っているのが『ビーナスブレンド』の町だった。


出ていく人間も、訪れる人間も滅多にいない。この街は目指す街ではない。ただ辿り着くだけの街だ。


町はそう表現される。この町にある宿泊所「ホテルビーナス」では、さまざまなかたちで傷ついたり大切なものを失ったり居た場所を追われたりした人々が集まって暮らす。人々に名前はなくて、代わりに「呼び名」だけがある。


互いを、どうでもいい名前で呼び合うここの習慣は、誰が始めたわけでもない。名前に意味や希望が込められていると、人はそのせいで絶望することがある。ここの連中はそれをよく知っている。だから僕はカンであり、傍らにいるのはビーナスであり、ワイフ、ソーダ、ボウイなのだ。ガイもサイも本当はどんな呼び方でもいい。代わりはいくらでもある。それくらいの名前の方が、人は名前から自由になれる。


傷を負った人々が、互いの距離感をはかりながら、互いの心のうちを思い遣りながら今日を生き、明日を探す。いまここにない物語のなかの人々は、それぞれの現実を生きる人々に向かって、限りなく優しい。

あらすじ/『ビーナスブレンド』

居場所を亡くした人々----医師と看護師だった夫婦、殺し屋の少年、花屋でアルバイトするダンサーの少女、ゲイのオーナー、僕----が集まって暮らすのは、最果ての地のさらに外れにある「ホテルビーナス」。そこに、寡黙な父と、心の回転を止めてしまった小さな娘が訪れたことで、ホテルに小さな嵐が起きる。数々の実績を持つCMプランナーによる小説作品。

案内者プロフィール

鈴木朝子。1977年千葉県生まれ。編集者。株式会社アピックス勤務。ふだんは企業・学校の広報媒体(コンセプトブック、ブランドブック、社史など)のライティング・編集に携わる。選書の仕事としては高校生に向けた「はじめの1冊×100」「将来をかんがえる10冊」など。当サイト主宰。

月と六ペンス

書籍情報

『ビーナスブレンド』2004年に角川書店から発刊、2005年に角川文庫として文庫化。
2018年現在は絶版。古書店、Amazonマーケットプレイスにて購入可。