選定者私物の本

案内文01

「青春とはなんだ」出版企画編集者・岡田 卓

選定者

『わが青春のとき』倉本聰

大学卒業後、某メーカーへの就職が決まり、入社式を迎えた。何人かの幹部社員による訓示のなかで、印象に残ったものがあった。

「人生というものは、前へ進むうえで選択を繰り返す。何かを選ぶことは、他の選択肢を捨てることを意味する。つまり、選択を行うたびに人生の可能性は狭まるものだ」

社会人としてのデビューの日に夢も希望もない話だな、と違和感を覚えたのである。でも、すぐにそれを打ち消す心の声が聞こえてきた。「それが自分の意志で選んだものならば、無限の可能性を感じられるはずだ」と。自身を振り返ってみて、この就職は間違いなく“消去法”による選択で、世間体をつくろって半ば妥協するかたちで得たものにほかならなかった。

この時、高校時代に聞いたある日の深夜ラジオの記憶が甦った。ゲストであった当時の市川染五郎(現・松本白鸚)が、ミュージカル『ラ・マンチャの男』で自ら演じる主人公ドン・キホーテのセリフが心に刺さっていることを熱く語った。

「本当の狂気とは何か? 本当の狂気とは。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。 現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。 だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」

入社式から2カ月足らず、まだ実習期間だったにもかかわらず、「退職願」を上司に提出した。遅い決断とも言えたが、敷かれたレール上を走ることで可能性を狭め続けるよりも、いったんゼロに戻って自分の信じる選択を行う人生のほうが納得できる、と考えたのである。


『わが青春のとき』は、脚本家・倉本聰が1970年に書いたテレビドラマ(全8回)のシナリオをまとめたものである。大学医学部の研究室で助手を務める主人公・武川和人が、そこではタブーとされる自身の研究テーマに執着し、周囲の反発を顧みず、何かにとり憑かれたかのように邁進する姿を描いている。若さゆえの純粋さ、エゴイズム、そして彼のそうした行動の結果、何がもたらされたのか——。

研究室時代の仲間で、主人公を最も理解しようとした親友・阿部誠一郎は、

「青春のヒロイズムは、いったい何の役に立つのだろう。本来青春は心のままに、自分本位に動くことを許された唯一の季節ではあるまいか」

と、主人公に問おうとする。このセリフは、著者である倉本聰が描きたかった青春ドラマのキーワードでもある。周囲が見えなくなるほど、とり憑かれたかのように何かに夢中になる。この盲目的かつエネルギーに満ち溢れた独善的な振る舞いこそが、青春の特権であり、無限の可能性に結びつく「選択」にほかならない。

あらすじ/『わが青春のとき』倉本聰 1982年

「北の国から」「前略おふくろ様」「優しい時間」などで知られる脚本家・倉本聰によるシナリオで、1970年にテレビ放映されたドラマのもの。「北の国から」の11年前に書かれたもので、これを代表作とするファンも多い。大学の医学部で助手を務める主人公が、苦難の中で自らの研究テーマを追求する様子と、親友や恋人との関係を描いた青春物語。

案内者プロフィール

岡田卓。1958年東京都生まれ。株式会社アピックス代表。企業・学校等の周年史・コンセプトブック等の企画・ライティング・編集に携わる一方、「中国(生活文化)」「人物」「ニッポン(伝統文化×ing)」などに関する出版企画に取り組む。近年は「行動なくして前進なし」をモットーに、“凄い!”と感じた魅力的な「人」を取材し、自社のWeb雑誌で情報発信する試みに力を入れつつある。

わが青春のとき

書籍情報

『わが青春のとき』(1982年3月理論社から発刊)
2018年現在、絶版。古書店、Amazonマーケットプレイスなどで購入可能。